対談 渡邉良重×宮田識 /「渡邉良重の原点、そしてこれからも続いていくもの」

D-BROSの数々のプロダクトを手がけてきたキギの渡邉良重さんが、3年振りに手がけたカレンダー『BOYS & GIRLS &』。今回は発売を記念して、久しぶりにD-BROSのクリエイティブディレクター宮田識(みやたさとる)と対談していただきました。台本のない会話はまるでお正月に帰ってきた娘と父が話しているかのようで、話はまず、ふたりの出会うことになったきっかけの話から始まりました。

宮田 良重さんは26歳の時にうち(ドラフトの前身となる宮田識デザイン事務所)に来たんだよね。

渡邉 26歳の終わりですね。私は山口大学を出て、そのあと2年間ほど筑波大学の研究生をして、そのあとドラフトの前は短くはあるんですが2社行ってるんです。そのあと、ドラフトに「もし人を採用する気持ちがなくても面接だけしてください」という内容の手紙を書いたんです。

宮田 それは何がきっかけだったの?

渡邉 前の会社を辞めようと思った時に、「次はどこに行こうかな〜」なんて雑誌の『コマーシャルフォト』と『イラストレーション』を見てたときに、ちょうど宮田識デザイン事務所というのが両方に出ていて。それで、『ZOOM』という写真雑誌のポスターを宮田識デザイン事務所が作ってたんだと知ったんです。当時、写真美術館で見たそのポスターの記憶が残っていたので、「あっ!」と思ったのがきっかけですね。

宮田 それは、フランスの『ZOOM』を日本版にした時のだな。

渡邉 私は美術館でそのポスターを見ていなかったら、宮田識デザイン事務所に手紙を書いてなかったかもしれない。

宮田 そこから長い付き合いですね(笑)。

渡邉 はい(笑)。入社して少ししたら、宮田さんの下でやっていたラコステの仕事で小さなイラストを描くことになって、土日はその絵を描いたりしてました。ちょうどそれと時期を同じくして、『太陽』という月間誌からの仕事の依頼もきて。そっちは2色のモノトーンページだったので、えんぴつで描いて、ラコステの仕事はすごく小さくてカラーだったので「そうだ、久しぶりに絵の具を買おう!」と思って、透明水彩を買いに行きました。ラコステの絵はそれで描いてました。

宮田 どんな絵を描いていたんだっけ? 

渡邉 雑誌の「縦三分の一」って呼んでいた広告スペースがあって、そこにラコステのコピーがあって、それに合わせて私が絵を描くという感じでした。結構、描きましたよ。

渡邉 その頃、掲載する雑誌が3冊くらいあって、原画を描くと当時はそれを複写して、ポジにして、一つは原画入稿、他はポジで入稿するんですけど、圧倒的に原画で入稿した方が出来がよかったんですよ。それで私は、3冊雑誌をやっていたので、同じ絵を3つ描いてました(笑)。それでも絵の出来も違うので、一番好きな雑誌に、一番好きな絵を入稿してました(笑)。

宮田 すごいね。カレンダーはその頃から作り始めたんだっけ?

渡邉 私がD-BROSに参加するのは1997年なんですが、カレンダーはまだD-BROSの商品になる前に、ドラフトの中でカレンダーのコンペをやってたんですよね。やっぱり広告の仕事をやっていると自分の表現っていうのをそんなに出す場もないから。カレンダーのコンペは投票して決めるので、私絶対作りたい!と思って。最初の年は、私が選ばれて作ったんです。それで2年目も作りたいと思ったんですけど、私には票が入らなかったんです。票が入らなかったけど、宮田さんが「これも作ろうか」と言って、作らせてもらったのがカラペのカレンダー(『Paper Talk』1997年ADC賞受賞)です。

宮田 あのカレンダーはものすごく出来が良かったね。

渡邉 でもカレンダーとしては、なかなか……。すごく薄い紙でつくったので繊細で商品としては。

(カラペというトレーシングペーパーに類似する薄い紙を重ね、色の美しさを追求したカレンダー。紙がとても薄いためオフセット印刷では対応できず、シルク印刷で一枚ずつ丁寧に刷り上げている)

宮田 でもあれは、買わなきゃ損だったと思うよ。

渡邉 それをきっかけに1997年からはD-BROSとして毎年作り始めたんです。最近2年くらい作ってない年があったんですけど、それまでずっと。2つ作った年もありました(笑)。

宮田 あはは。表現の欲が深いから(笑)。

渡邉 『ブローチ』という絵本になったカレンダーがあるんですけど、その年はたくさん絵を描きたくて。 

宮田 僕が「日めくりにしたら?」って言ったんだよね。

渡邉 そうでした? それで、「そうだ、日めくりにしたらたくさん絵が描けるんだ」と思って、最初は日めくりを考えました。でも、それはあまりにもコストがかかり過ぎてできなくて、週めくりカレンダーにしたんです。そのあと絵本にすることもできて、私の中では記念すべきカレンダーになりました。 

宮田 あれも贅沢なカレンダーだったね。

渡邉 ホントに。今思い返してもD-BROSでいろいろと実験的なことをさせてもらって、だから今でも自分のこれまでの仕事を見せる場では必ずカレンダーは出しています。しかもたくさんあるので、私の表現として代表的なものです。D-BROSがあってよかったなっていつも思っています(笑)。

宮田 違う絵を12枚描くカレンダーというものは、やっぱり誰でも辛いよね。丁寧に自分が気に入るまで筆を動かせれば、いいものもできるけど。

渡邉 そういう訓練もさせてもらったというか。

宮田 12枚でも苦しいけど、週めくりは1年間52週で52枚描いたんだもんね。

渡邉 まあ、でもその時間も与えてもらったっていうことなんですよね。だけど、すごいスピードでやりました。入稿の日にちが決まってて、そこまでに絵を描いてデザインもするから逆算して、ここまでにこれをしないといけないからって考えて。例えば、最初の『ブローチ』も全部のストーリーを作り上げてからでは間に合わない。あれは紙が薄くて、次のページがちょっと透けて面白いっていう仕掛けで、あるブロックごとで作っておいて、描き始めるんですね。

渡邉 それで、とにかく描いて描いて、そしてその間を繋いでいくっていう作業をして。じゃないと間に合わない……。結構、勢いよく描きました。とはいえ、その時間を使わせてもらってるんで、ありがたい時間でした。

宮田 良重さんのイラストを描く時の集中力はちょっと凄まじかったよね。描き方というか、描く方法やリズムを自分で作ってからは特に。

渡邉 そうですか(笑) 。

宮田 D-BROS展をした時の小さなお花のやつ。

渡邉 ああ、あれですね! あれは描いているというより塗っているんですけど。あの時はまだそれぞれをくっつけてはいなかったけれど、進化した形で、今でも作り続けているものです。

(無数のレースペーパーの中から使いたいモチーフのみを切り出し、マジックで着色してから、またつなぎ合わせることで、広がっていく花畑のような世界を表現した作品) 

 

宮田 だからすごいよ。ふつうはできない。嫌になるもの。それで絵にムラが出てバランスが取れなくなる。それがずっと同じパターンで同じリズムでできているのですごい。

渡邉 ありがとうございます。

宮田 このカレンダーの世界観とかは別だよね。1月の絵なんか紐1本で表現しているわけじゃないですか。ふつう風景あるよね。でも風景は何にもない。この垂れ下がってる紐とこの子たちの表情と動きで世界観が広がっている。表現が完成されてる感じ。

渡邉 この絵は最近描いたわけじゃなくて、30代なんですけど。うわ、すごく昔(笑)。ラコステの仕事で透明水彩買ってから、しばらくして描いたもので。今回カレンダーを作るにあたって、今でも好きなこの絵を何か形にしておきたいなと思ったので、カレンダーにさせてもらったんですけど。かと言って、あまりしみじみとかしたくなくて(笑)。それで、この額のデザインを箔で押させてもらったり、ここの部分をデザインしたり。 

(カレンダーのタンザックと言われる紙を綴じている部分にデザインをした)

 

渡邉 カレンダーという私がずっと作り続けているもので、この絵も残しておきたいと思って作りました。

宮田 これは良重さんの原点だと思うよ。 

 

 

『BOY’S & GIRL’S &』の中に収められた原点とも言える12枚のイラスト。2022年の1年間はカレンダーとして、そのあとは渡邉良重の作品として長くお楽しみください。